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【03】関西にもあった、黄色い「国電」。

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写真: 【03】関西にもあった、黄色い「国電」。

写真: 【02】度肝を抜く威容、ジョイフルトレイン・フェスタ。 写真: 【04】青い「しらさぎ」。

複雑な都市部の路線の案内に効果的なラインカラー。
その路線の性格や沿線の風土をもとに定められていると聞きます。

JR宝塚線・福知山線のラインカラーは黄色。
はて?黄色?…福知山線の沿線に黄色を想起させる事物はあったのでしょうか?
由来は公表されていませんが、過去には「黄色」を全身に表現した電車が走っていました。
それがこの車両、黄色の「国電」103系。
1981年の尼崎〜宝塚電化で投入された「黄色」たちは東京のお古が回ってくることの多かった大阪都市圏の103系では久々の冷房付新車でした。
すでに東海道・山陽本線・阪和線=水色、大阪環状線・片町線=橙色、関西本線=黄緑色となっていたことから識別のためには残る黄色、エメラルドグリーンから選択する必要があったと推測されます。
並走する阪急から乗客を取り戻せないまま1986年には電化区間が終点福知山まで延伸。同時に電化された山陰本線福知山〜城崎間と合わせてデビューした車両は路線成績を反映したのか新車ではなく他線区のお古を塗りなおした113系近郊電車。しかしながらここでも福知山線のアイデンティティーを主張すべく同じく黄色を装い、長距離運転を示すため紺色の帯を締め識別としました。
ここに「福知山線=黄色」の図式が確立したと考えてよさそうです。

国鉄は翌1987年民営化、JR西日本は私鉄との直接対決を挑むべく旧来の「国電」のイメージを徐々に払拭する施策を取って行きます。三田以遠に直通する113系は221系に範を取るベージュ基調の都会的なイメージに塗装を改めてゆき、やがて白地に緑帯の117系が登場。
1990年代に入ると近距離の各駅停車にものちのJR東西線開通を見越してステンレス車体の207系が投入、徐々に「黄色い国電」は活躍の場を狭めるのでした。
90年代の終わり、すでに福知山線の「黄色」は朝のラッシュ時に数本が運転されるのみ、しかもその運用の大半は黄色とは本来無縁の東海道本線大阪〜京都間での増発分に振り向けられたものでした。
水色の各駅停車に伍して肩身狭そうに「高槻」「京都」の表示を掲出してやってきた「黄色」。
やはり東海道本線をメインの仕事にする車両に黄色では不都合なのか、それとも少数派のためにわざわざ黄色い塗料を準備するのは経費がかさむのか、しばらくして水色に塗り替えられついに「黄色い国電」は関西からその姿を消し、福知山線の「黄色」は電車の種別表示の裾のラインにわずかに残るのみとなりました。
首都圏では総武本線〜中央線各駅停車や南武線、鶴見線と比較的遅くまで親しまれ、現在も時刻表の案内ページの通り車体帯に塗られている「黄色」ですが関西、JR西日本ではあまり定着しなかったようです。
後年、合理化とはいえ103系を含む広島地区山陽本線の電車に「黄色」が復活するとは思いもよりませんでした。

2001年夏の撮影。
この時先輩の紹介で中古カメラ屋でミノルタα707siを購入しメイン機を入れ替えた直後でした。
ミノルタ伝統の見やすいファインアキュートマットファインダーにシャッタースピードが1/2段刻みで調節でき、さらにポジフィルム使用に欠かせない増/減感操作も可能、安定した高速シャッターメカなど当時の僕には十分すぎる良いカメラでした。願わくば当時の腕がもう少しそれに見合ったものだったら…と今更言っても仕方ないですね。
使用したフィルムはコダックの「エクタクローム・E100VS」。
絶大な人気を誇っていたフジカラーの「フジクローム・ベルビア(50)」にコダックが対抗すべくエクタクローム・ダイナEXをベースにASA100で鮮やかな発色を売り物にリリースした当時最新のフィルム。
フジとは違った派手目の発色、しかも比較的廉価でASA100でしたから、割と使用頻度は高かったように思います。
コダックの真骨頂はやはり黄色の発色。
たしかブルートレインかなんかの撮影のついでだったかと記憶しますが、E100VSはちょうどタイミングよくやって来た103系を鮮やかに記録してくれていました。

DATA:ASA200(+1),70-210mm,1/750,F=AUTO

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